努力する人々

飲み会というものが苦手でした。私は仕事など用事があれば話せるのですが、これという目的のない会話というものが非常に苦手です。普段は無理やりにでも目的をつくってしまうのですが、飲み会は話をすること自体が目的というカンジですしね。

 

「飲み会というものが非常に苦手で」

就職した頃、飲み会に参加した後に仕事で職場に残っていた上司に「どうだった?」と聞かれて言ったことがあります。みんな、話し上手というのでしょうか。うまく溶け込めない自分に気づかってくれているのがわかり、なおさら所在のなさを感じたもので。

すると上司は言いました。

「馬鹿野郎。みんなそうなんだよ」

 

何だか安心しました。人当たりがよく、輪に溶け込んでいるように見えた上司の方でさえ本当は所在のなさを感じているのかもしれないのですから。

それ以来、とりあえず少しづつでも参加して時間をつぶしてみることからはじめようと思いました。実質上、全員参加のものだけですけど。全員参加ならいなくちゃいけないんだからしょうがないでしょと言い訳できますし。

と言いつつ所在のなさは拭えずに、とりあえず空いた皿を片付けてみる、ビンを片付けてみる。なくなりそうなら注文してみるなど、目的をつくってみました。

 

はたから見たら「飲み会でまでそんなに気を使わなくても」らしく、そう言われるのですが、話すのが苦手な人間には所在のなさを紛らすものが必要です。

話ができなくても、最後まで参加したという事実は残り、その積み重ねが自信につながっていきます。私もちょっとづつですが、楽しめるようになっていきました。

←個人的には「気配りの人」と言われる人間にはそういうタイプが多いような気がします。そういうタイプでなくても、その場では何らかの事情で(自分が一番目下とか)ちょっと所在のなさを感じていたり。あまり繰り返し、「気を使わないでいいよ。しなくていいよ」と言わないようにしてください。

 

経験を積むにつれて少しづつですが、周りを見る余裕ができてきました。みんな、一見何気ないような顔して、努力しているなぁと思います。

いつ話せと言われてもいいように人が集まる席に出るときは真面目な話とくだけた話を用意しているという方。「人好きがするけど、実はやり手」と言われています。

写真などを持ち歩く方も多いです。昔の写真から昔話に展開する方、家族の写真から家族の話に展開する方。

大判の奥さんの写真をパウチッコして持ってくる方もいましたね。私が話のネタにあちこちで「奥さん、美人」と言い歩いたので聞かれまくったせいもありますが。(本当に美人です)

とその場にいる方々がみんな知っている方のネタをいくつか用意するのも話をしやすくなります。趣味などがまったく違っても、ちょっとでも知る話なら受け答えできますし。ゴシップ週刊誌がなんだかんだ言っても人気あるわけです。その方がその場にいれば話を振ってしまえる効果も。・・お世話になっています。

 

こういう話をするともっと力を抜いて気楽に話せばいいのに。とよく言われます。でも、世の中それができなくて悩んでいる人間も結構います。個人的にはそういう風に思う方は一種の天才だと思います。

コンプレックスすらも話のネタにしているあたりが本当に人見知りするのかというカンジですね。開き直ってから変わったと言われます。利用できるものは利用するしたたかさが道を切り開いてくれます。ホント。

 

対人関係で悩んでいる方、とりあえず足掻いてみませんか。意外と似たような人が多いものですよ。