闇を抱えて

こういうマニュアル系のコラムを書いている私が「良心的で、公正明大な人間か」というとけっしてそうではありません。むしろわがままで、ずるくて、いじわるで、偏見だらけの人間です。

自分が得することしかしたくないですし、楽できるなら楽したいです。人が得しているのを見るとむかつくし、自分に都合が悪い人にたいしては粗探しをします。

よくマイペースと言われるけど、本当は不満も多いし、妬みもたくさんあります。

 

でも、実際に言動するときには、良心的・道徳的と言われることが多いです。けっして禁欲的なのではなく、そのほうが総合的にみると得だと思うからです。

確かに部分部分では損をしているなぁと思うことも多いです。そういうことばかり続くと損ばかりしているようで馬鹿馬鹿しくなることもあります。でも、大きくは損をしていないような気がします。

 

「いいことをしていれば誰かが見ていてくれる。悪いことをすればいつか自分の身に降りかかってくる」

そんな言葉を全面的に信じきれるほど、心がキレイではありません。いいことをしても報われないときは報われないです。身勝手に生きていてもそのまま通用しているように見受けられる方が結構いるのも知っています。

 

ただ、いいことをしていたほうが受け入れられるチャンスが増えるし、悪いことや身勝手なことをしていると良心的に振る舞うよりも自分の破滅を招く可能性が高くなるのも事実です。

安全性を重視する人間としてはローリスクローリターンを選択しようかなというところです。

 

そういう計算ができるのは自分の中の闇を知っていて、その存在を認めているからです。ずるいことをしたいなという気持ちを受け入れた上で検討して、それは損だからやめようと思います。

 

「良心的で、公正明大な人間である」ことが前提になっている方々はしばしば心の闇の存在自体を否定しようとします。そういうことはあってはならないというわけです。

 

でも、汚い部分がまったくない人間はいません。心の闇に気がつかなければセーブすることは難しいと思います。汚い部分に気づかないとセーブすることなく表に出してしまうこともあります。

 

闇を認めなければ、自分の汚い部分を否定するたびに自分を嫌うようになり、いつか壊れてしまう可能性があります。タガが外れた分、これまで抑えていた汚い部分が暴走しかねません。心の底に良心が残っていても、嫌っている「自分」が判断することを受け入れられるでしょうか。難しいですね。嫌いなものは否定したくなるはずので。

 

 立場上、「良心的で、公正明大な人間である」ことを要求される方々へ。

自分の中の闇を否定しないで、きちんとみつめてください。汚い部分もキレイな部分もある同じ人間として、汚い部分を抑える努力をする姿を見せてください。「聖人君子」に諭されてもあんたとは違うと反発したくなりますが、同じように努力する方の言葉は共感します。

 

周囲の方々へ。

どうか彼らもまた人間であることを否定しないでください。汚い部分を抑えて、「良心的で、公正明大」に言動しようと努力していることを忘れないでください。

時に抑えきれなくて、醜い部分を表すこともあるかもしれません。そのことを許せとは言いません。でも、彼らも同じ人間として苦しんでいることをわかってあげてください。

 

心の闇を抑える気がない方々へ。

みんな、自分が嫌な思いをしたり、損をするのは嫌です。そうさせた人間に恨みをもちます。いつか何らかの形で仕返しをしたいと思うはずです。

それに打ち勝つ自信があるかもしれません。でも、自分以上に知恵が回る人間がいるはずです。一生出会わなくて済むかもしれませんが、まったく出会わなくて済むとは言い切れません。

 

ちなみに私は相談窓口に片っ端から相談しまくるくらいは常識だよねと思っています。

 

警察庁ホームページ

 http://www.npa.go.jp/  

  ハイテク犯罪の項目のリンクで全国のハイテク被害相談ホームページにたどり着けます。

 

 警視庁ホームページ

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/ 

 各種相談窓口のページがあります。