人生と荷物
昔、本を読んでいて新興宗教勧誘の人にたいするコメントにしみじみとしました。
「荷物が多い人に声をかけることが多いような気がする。重荷を背負っているところが共通しているのかもしれない」ナンパ・キャッチセールスの話がメインでほんの一行くらいのコメントだったのですが、こちらの方が印象深かったです。(多分「大人養成講座」の著書の本だったと思います)
私はカバンが大きいです。ロッカーがある職場に行くときでさえこれから旅行?と言われるくらいです。
そして、ナンパ・キャッチセールス・客引きに声をかけられることはないのですが(注)、よく宗教勧誘の方には声をかけられます。
私も時々小さいカバンにしようとチャレンジします。オシャレな方というのはたいていカバンが小さいです。持っていないということも。かっこいいよなあ。と憧れるわけですよ。大きいカバンというのはセンスがある方はともかくごく平凡な人間がもつとどうしても野暮ったくなります。(指摘される前に開き直ると私は俗物です)
実際に普段、持ち歩いている荷物で実際に使っているのは半分以下なのです。財布と定期券くらいしか使っていない日もあります。
でも、いざ荷物を減らすと何故か必要になるんですね。しょうがなく買ったり、借りたり。こうして帰るまでに紙バックやビニール袋が追加されます。(買い物しなくても)
あまりの不便さに翌日から元の大きいカバンに戻します。ほとぼりが冷めた頃に懲りずにまたチャレンジしていますけど。
これって生き方にも通じるのかもしれません。
私は辛いことや苦労することや面倒なことが大嫌いで、いつも楽したいと思っています。ただ、後で楽するための努力は惜しみません。そのせいでしょうか。よく頑張るねぇと言われ、戸惑うこともしばしばです。でも、確かに最初から頑張りますという方よりも結果的に努力してしまっている時も多いかも。
以前、友人から「楽したいといいながらドツボにはまっていくよね」と言われ、当時は戸惑ったけど、最近は言いえて妙のような気もしてきました。
本当に楽ができる方は楽するために努力するのではなく、自然体でできるんですね。
人生と荷物って似たようなものかもしれません。憧れても、努力しても、できる人とできない人がいます。できないけど、憧れる人間としては足掻いていくしかないかなと思うようになりました。
いつもこのことが頭にあるのでしょうか。「大きいカバンだね」と言われ、「人生の重荷を背負っていますから」と何気なく答えて沈黙されたことがあります。ネットサーフィンのし過ぎで寝不足だったもんで。
それでもエレベーターを降りるまでに「人生の荷物にしては随分小さいじゃないか」と切り替えしたその方は見事だなぁと思いました。
ちなみにその時はそれで終わったのですが、その方は覚えていたらしいです。半年後くらいにこの話を出されました。フォローのつもりでここに書いた荷物についての部分を話したのですが、全然フォローになっていなかったらしいです。再び、その場の全員を沈黙させてしまいした。別の話題を出して、フォローしてくださってありがとうございます。
でも、この言葉に反応してしまうその方も重荷を背負うタイプですね。一見とっつきにくいのですが、実はめちゃくちゃお人よしなんじゃないかとは思っていましたが改めてそう思いました。
これからもいろいろ大変でしょうが、頑張ってください。陰ながら応援しています。
とこの解説付で話をする方と出会ったら伝えていただけると幸いです。ちなみにオリジナルは私です。(笑)
(注) こういうことを書くと同情してナンパメールやダイレクトメールを送ってくださる方がいそうですね。ナンパこそはないけど、まるっきり出会いに恵まれていないわけではありませんのでご心配なさらないでください。