ボランティア嫌い

 ボランティアが嫌いです。さらにいうと誰かのために何かをするのも大嫌いです。無償の愛なんてものは存在しません。少なくとも私にはありません。

 

 以前、掲示板にこういうことを書いたら最低なヤツだという罵倒を浴びました。あんたのような人間は生きている資格なしという言葉まで。

 確かに私は利己主義です。何かをするときに誰かのためになんて考えません。もっとはっきり言うと何で人のために苦労しなきゃいけないのと思います。はたから見ると人のためになることをしていることもあります。でも、それは自分のために行動した結果です。

 でも、極力、人に迷惑をかけることはしないようにしています。いつか自分にはね返ってくると思うからです。

 罵倒を浴びた時、怒るより前によくここまで関係ない人を攻撃できるなぁと感心しました。自分が直接、被害に遭ったわけはないのに。私は自分に被害が及ばなそうなら、わざわざ喧嘩を売らないです。面倒だから。

 

 こう書くとどういう生活していると思われそうですね。実は庶務にいます。

こういう仕事はよく縁の下の力持ちという言い方をされます。これは好意的なほうで、庶務というとつまらないでしょとよく言われますね。一般的に軽視されがちです。幸いなことに私の職場では庶務畑の人間を大切にする慣習があります。それでもやはりそういう方が結構いるのも事実です。

 確かに地味です。専務的な仕事はルーティンワークの繰り返しですし、それ以外は世間で雑用と言われていることばかりですし。しかも結果が数字で見えません。

 でも、結構、奥深い仕事ですよ。

 「誰にでもできる簡単な雑用」で、いわゆる「大きな仕事」をしている人たちのやる気を出させているわけですから。

 いわゆる「お茶汲み」も侮れないです。会社を動かすような・世間を動かすような仕事をしている人たちがたかだか原価10数円のお茶やコーヒーひとつで和んでしまうのですから。

 

 どこに視点を置くかです。自分が主流と思えば、楽しくなります。雑用をさせられているではなく、簡単なことをやるだけで人を動かしていると思ってしまえばいいんです。

 普段はわざわざ口にして波風を立てる必要もありません。でも、馬鹿にする方にはきちんと説明して、その価値観を打ち砕いてみるのもいいでしょう。「因果応報」というやつです。(経験上、口では負け惜しみと言いながらも衝撃を受けているようです)

 

 「自分が主流」という充実感を味わうには、「誰かのためにやっている」という気持ちは邪魔になります。

「誰かのためにやっている」ということはどこかで感謝を期待しているわけです。確かに「人の利益のために」動いているわけです。でも、感謝されるとは限りません。

 

世の中にはいろいろな価値観をもつ人間がいます。世間一般でいわれている幸せが、その人にとってはそうでない場合もあるわけです。

極論になりますが、自殺願望のある人が自殺するのをとめた場合がわかりやすいですね。世間的には命を救うことはいいことです。でも、死にたい人にとっては邪魔されたであり、とめた人間に恨みをもつわけです。(とめるなという意味ではありません。その時はともかく、後で感謝されることが多いようです)

ここまでいかなくても、そのことが本人にとってそんなに必要でなかったというケースも多いです。

 

そんな時に「人のために」という意識が強いと、反発された時・感謝されない時に不満が強くなります。

 どうして感謝されないの? 大変だったのに。(特に開発されていない分野のサービスを切り開く労力は生半可なものではありません) いくら頑張っても、全然報われないじゃない。

 

ボランティアに多い例ですね。最初の「人のためにやる」という使命感が強いだけに、「人のためになっていないのでは」という疑問が強くなると気力が削がれていくわけです。結局、断念してしまうことも多いと聞きます。

 ボランティアなんてキレイ事言えるのは余裕のある人間のものよねと思いつつ、誰かのためにと思う優しさは好きなので痛々しいなと思います。

 

 誰かのために何かをしたいと思う方々へ。その優しい心を大切にしてください。でも、自分のために動いてください。自分が満足するために、人のためになると思われることをしてください。恨まれても、感謝されなくても、自分が気になったからやったと思えば充実感があります。

 そして、自分の幸せをまず考えてください。人のために何かをしたいという方はその目的のために自分を犠牲にしがちです。自分の幸せを求めることに罪悪感をもっているのではないかと思うこともあります。

 でも、自分が幸せでなければ本当の意味で人を幸せにすることができません。自分が幸せでなればどうやって幸せにしたらいいのかわからないはずですから。

 

 そういう人々の周囲にいる方々。彼らもやはり人間です。やはり感謝されたほうが嬉しいし、何らかの見返りがあったほうがやる気も湧いてきます。

 私は仕事として行っているので平等にと心がけています。でも、自分に優しい人間にたいしての方がやはり力が入りますね。

 

以前、スチュワーデスの本を読んでいて「お客様は差別するのではなく、区別する」という言葉がありました。お客様として両方とも大切なのは変わりません。ただ、ファーストクラスのお客様にはファーストクラスにふさわしいサービスを、エコノミーのお客様にはエコノミーにふさわしいサービスを、行うというものです。払っている料金が違い、求めているものが違うのだから、まるっきり同じ対応というのは逆に不平等なのだそうです。

 私はこの言葉に感銘を受けました。そして、自分もこのことを心がけています。料金という違いはないのです。でも、力を貸してくれたり、感謝の意を示したり、気配りをしたりという努力に報いることは大切なことだと思いますので。

 

 仕事として行っている人間でさえそうなのです。人のおかげで得をした時は何らかの形でお礼をしたほうがいいと思いますけど。これはお金やものを与えるという意味ではありません。感謝の気持ちを表す、励ましの言葉をかける、できることがあったら手伝うなどあまり負担にならないことで充分です。お世辞でも言われると嬉しいものですよ?

何の義務も義理もないのに無償でサービスしている方は「お人よし」なので、よりよいサービスが受けられると思います。

 

私はボランティアはごめんです。福祉など「善意で行う」と言われる分野ほど不満や嫌なことが生じやすいものです。でも、そういう分野の人間は嫌なことや不満を愚痴ったり、文句言ったりすると反発されやすいです。余裕があるからやっていると思われがちなんですよね。人間なら感情あるので当然だと思いますけどね。

税金でアルバイトにするとか、点数制にしてくれないかなぁ。そうすれば手を出す人が増えるかもしれません。嫌なときに「しょうがないじゃん。お金(点数)のためだもん」と思えますから。