とりあえず動くべし

「はじめ~る♪」Vol.264の読者投稿「思いやりについて」を読んでいたら私もこのテーマで書きたくなりました。

 私はいわゆる人付き合いというものが苦手です。でも、社会人になって逃げてばかりもいられなくなりました。
 日々、戸惑いと落ち込みの毎日です。ただ、その中で人と人との交流も捨てたもんじゃないと思うようになりました。社会人になると学生時代の甘えは通用しないとよく言われます。確かにシビアな部分もあります。でも、それだけに優しい部分もあるような気がします。

 学生時代は気が合う方としか付き合わないで済むと言われます。逆に言えば気が合わないと思われればそれで終わりです。でも、嫌な相手でも付き合っていかなければならない社会人はお互いに努力せざるを得ません。逆に言えば嫌な相手と思われがちな人間でも交流するチャンスを与えられるわけです。


 社会人は心の底からの交流はできないとよく言われます。でも、長い時間を一緒に過ごしていると完全な建前と上辺だけで付き合っていくことはそうそうできません。

 いろいろな方々の優しさに救われました。
 私の周囲には誰かが困っているようだと手を差し伸べる方々が多いです。私自身は「GIVE&TAKE」が信条です。でも、はたから見ると人のために動いているように見えるんだろうなということもしばしばあります。
 与えてくれた方々にいつまでもお返しができないので気になってしょうがない。とりあえずその方々と同じことをすることですっきりしようというところでしょうか。

 でも、人のためにと思っても本当に相手が望むように手を差し伸べることができるとは限りません。大きなお世話と突っぱねられることもあります。その積み重ねで優しさを表現するのにためらいを覚える方々もかなりいらっしゃいます。

 人のためになると思われることをする人間に偽善だ、打算的だ、自己満足だという方々もいます。
 でも、何が悪いんでしょうか。私は誰が相手であっても、まるっきり見返りを期待しない人間はまずいないと思います。どの程度の見返りを期待するかは人によります。でも、少なくとも好かれたいと期待してしまうものではないでしょうか。

 私は打算であっても、偽善であっても、自己満足であっても「人のために」と思って実際に行動を移すという時点で、何もしないよりはいいのではないかと思います。
 厳しいようですが、いくら思いやりがあっても実際に行動に出なければ結果的には何も考えていない方と同じです。


 他人である方の気持ちを本当に理解することは不可能です。だから、動いた結果、人を傷つけることがあるかもしれません。でも、それを恐れてためらっていては何も変わりません。

 もちろんどうして感謝してくれないのと相手を責めるのはよくありません。そんな暇があったら、どうやったらよりよい方法があるかを考えて変えていったほうが感謝への近道だと思います。

 

 投稿エピソード

 読者投稿へのご意見の掲示板に書いたものを元につくり直しました。

 この次の号、読者がガタンと減りました。この投稿が原因かはさておき、臆病で傷つきやすい方々には嫌われそうな内容です。掲示板に書いたときも反論ありました。そっと思いやってくれている人たちがいることもわかってほしいという内容。

そういう方々がいるのもよく知っています。私も余計なお世話かなと悩んでしまいますし。

でも、やっぱりどういう理由であっても動いてくれる方のほうがありがたいですね。たとえ騙されているのでも構わないと思う時もあります。

心優しい方々、どうか困っている方々が悪意の人間に騙されないように勇気を出して、手を差し伸べてあげてください。

 というテーマを込めて、最近読んだ本の紹介でも投稿してみようと思います。中高生が増えたというので受け狙いで手に取った本の一つですが、妙に考えさせられました。